最近興味があることをAIに尋ねる機会が増えた。日常的に触れない知識は誰でも存在すると重いので、機会があればぜひいろんなことを尋ねてみると、非常に興味深い結果を目の当たりにすることだろうと思います。で、これはほんの数日前の話ですが、教育機関の人間と違い、出てくる文章が特徴的で。
面白いことに、AIに「データドリブンと15分都市」を解説してもらうと、「データドリブン」に軸足をおいた解説になってしまいます。簡単に書けば、15分都市に対して、データをどう活かせるか、生かしてゆくべきか、的な調子で文章いただけました。もちろん、「文字通り」データと15分都市ですから、この二つの単語から、組み合わせは、当然そうなるのですが、「言葉の影響下にある、想像可能な二次的、三次的な発展的状況」までは提案いただけないのが残念なところ。
AIの働きは、文字を解析して、記号化して、膨大なサンプルから最適な並び方を導き出し、文章全体として破綻しないものを提示することで、AIの本道においては、「言葉の影響下にある、想像可能な二次的、三次的な発展的状況」まで提示するのは、いわば、邪道。
勝手に、洞察したり、勘で表現したりはもちろんしません。意訳なんてもってのほか、な訳で。
でも、最近読んだ本の中で、ロベルト・ベルガンティ(Roberto Verganti)という方が登場するのですが「意味のイノベーション」ということを語っています。
例えば、上記の、AIに解説してもらった「データドリブンと15分都市」では、都市の営みのデータを運用して、人が快適に生活できるように都市環境、交通整備、都市インフラ全般的なハードを整備してゆこうと、いうことを語っています。また、特定の個人のプライバシーなどにも配慮した設計が必要とか。
かたや、ベルガンティいわく「意味のイノベーション」というのは「文字、データーに囚われず」、一旦、データドリブンを額面通り、直接的に評価するのではなく、二次的、三次的に読み解いて、そこに直接的にはない、物語を紡げ、ということでした。
読んだ本にも書かれていましたが、それこそが本当の「データドリブン」では、というお話しでした。
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